会堂共済組合65年の歩み

理事長 渡辺 教

 戦時中に国家によって強制的に合同させられた日本基督教団では戦後7・8年近くの時を経て、いくつかの教派が順次離脱していく事態が起こった。この危機感もあって、「教団強化育成」を合言葉に「全日本基督教信徒会」が作られ、小教会への互助活動が検討されていたことから、会堂共済組合創設もこの「信徒会」の活動の一つと言える。

 1953年頃から正木良一・豊嶋利右衞門の両氏は、佐藤春吉牧師から要望が出されていた教会所有建物の火災共済の仕組みを調査研究されて、教団内に共済組織を作ることを提案し、1954年10月の第8回教団総会で会堂共済組合の設立が認められた。早速1955年1月には日本基督教団会堂共済組合の第一回設立委員会が開催されて、工藤正平氏を委員長に選任し、設立趣意書・要項・組合規約が創られ、4月1日付けで組合規約が制定されている。

 1955年発足の日本基督教団会堂共済組合初代理事長は小野徳三郎氏、常務理事に豊嶋氏、理事に正木氏が加わっておられた。翌1956年には小野徳三郎氏の死去により、正木良一氏が2代目理事長に就任され、正木理事長・豊嶋常務理事による運営が軌道に乗り始めた。

 1957年は1件の火災もなく無事故であり、教団教職謝恩資金に20万円の寄贈ができたと記録されている。1961年は火災以外にも風水害にたいする見舞金贈呈を目途に災害見舞金が設定された。(当時の見舞金支払い内規は残されていない)

 正木氏は1976年に秋山憲兄氏にバトンタッチされるまでの20年間理事長職を務められ、草創期の会堂共済組合の立派な舵取り役を務められたと思われる。また、永年にわたり常務理事として実務を取り仕切られた豊嶋氏は、秋山氏が就任された最初の2年間も引き続き常務理事職を務め、初期から実に23年間を会堂共済組合の実務責任者として尽くされた。

 1976年4月に理事長に就任された秋山憲兄氏は2001年3月まで25年間理事長職を務められ、その間年金局理事長職も務められていたので、1990年には会堂共済組合事務所を早稲田のマンションから、キリスト教会館5階の年金局、隠退教師を支える運動事務局と同じ部屋に移転させ、会堂共済組合の火災共済を教団の中で確固たるものに育てられた。

 そして1995年1月の阪神淡路大震災では、前年に理事に就任した刀禰(損保出身)の提案により地震損害・地震火災損害も災害見舞金制度に加えていたので、すぐに岩井理事(建築家)を現地に派遣し、詳細な岩井レポートをもとに理事会で細部にわたり論議を重ね、先ず教団に300万円の見舞金を支払いし、総額3,894万円を被災された36組合員教会に見舞金を贈呈する指揮をとられたことは記念すべきこととして残っている。

 2001年に岩井要氏が理事長に就任されすぐに、懸案事項になっていた会堂内のオルガン・家具・音響装置・備付け聖書讃美歌等の書籍も含め什器備品としての引受け規定を策定し、建物と一緒に引受けを開始した。

 また2003年に50年間続けてきた火災共済を、損保の店舗総合・住宅総合保 険と同じ補償内容の火災総合共済に変えるべく、刀禰が火災・総合共済約款の作成と、これまでの火災共済料率を火災総合共済料率に全面的な改訂を行う試案を作成し、理事会の審議を経て、若干の手直しを行い2004年10月から正式に火災・総合共済に移行することができた。これは会堂共済にとっては画期的な改革といえる。

 この火災総合共済への移行の段階で、業務のシステム化により組合員の利便性を図ることが急務となり、2004年から石橋監事の紹介による潟jッセルワンにシステム化業務運営のための一切の準備を委託し、これまでの全ての手書きデータを取り込んだ会堂共済業務システムが2005年4月に完成したことは大きな飛躍となった。また2007年10月には「重要事項説明書」「火災総合共済の仕組」を作成し、契約書に必ず添付するようにした。

 火災・総合共済への移行にともない、約款との整合性を図るため、これまでの見舞金規定の変更が必要となった。

 2003年秋には新しい火災・総合共済見舞金規定を刀禰が作成し、2004年2月の理事会決定により実施した。損保に勝る総合共済制度に発展の基礎造りに尽力された岩井要氏の後を継いで、2009年に刀禰が理事長に就任した。

 就任直後からホームページの製作の準備をして「会堂共済組合」のホームページを2009年12月に完成させ、2月の理事会で披露した。組合員や新規に加入希望の教会がホームページから補償内容等「火災総合共済の仕組」「約款」も詳しく知ることができるようにした。

 2009年1月には一般損保が構造級別の改訂及び料率改定を全面的に行ったので、すぐに会堂共済も構造級別の変更と料率改定をおこなった。また、これまでは支払い準備金の関係から共済契約の契約金額に限度額を設けていた。この引受け限度額の撤廃を図ることにより、大きな教会・保育園・神学校なども再構築価格で会堂共済に加入してもらえるように、再保険システムが必要となった。

 2008年11月から約1年かけて大手損保と協議を重ね、9月末に会堂共済組合が契約者としての再保険契約を結ぶことができたので、10月以降はこれまでの引受け限度額1億2千万円が撤廃され、全ての建物の再構築価格での引受けが可能になった。大口物件(4,500万円超)の再保険システムが有効に働くので何億円でも心配なく引受けができるようになったことで、随時大教会の加入が増え始めたのは、会堂共済組合の今後の発展のためには喜ばしいことである。

 日本基督教団会堂共済組合規約は1980年に一度だけ改訂され現在に至っていたが、保険法が改訂され金融行政の監督も厳しくなってきており、特定の共済についても今後は見直しを求められることも考慮し、顧問弁護士の宮原先生のご指導も得ながら組合規約の改訂作業を行った。理事会で検討を重ね2,010年の総代会で30年ぶりに新しい組合規約が承認された。

 今後の損保自由化、ミニ保険会社の規制、共済の規制等に十分に耐えうる一般損保の火災総合保険に勝る独自の日本基督教団の火災総合共済に発展させ、組合員の災害補償に応えていける共済制度をこれからも追及していきたい。

 2011年3月11日の東日本大震災ではそれ以前の見舞金規定を改訂し、50万円以上の損害について契約金額の10%・1構内500万円限度に見舞金を支給できるように改訂したので(それまでは300万円限度)大きな損害が出た教会には少しでもお役にたてたのではないかと思う。これからも資産を増やし、地震見舞金制度を拡充できるようにしたい。それには先ず加入教会を現在の60%から70%以上に増やすよう努力をしたいと思う。

 2009年4月に理事長に就任し、これまで会堂共済組合の歴史が系列的に残っていないことに気づき、永年勤務し2010年3月に定年退職された高柳めぐみさんに「会堂共済組合55年の歩み」を記してほしいと依頼し、色々と過去の資料を探しだして作成にとりかかっていただいた。教団に保存されている貴重な資料等も参考にし、会堂共済組合の歩みを年度ごとにまとめてもらい、「会堂共済組合の55年の歩み」を2011年に発刊することができた。

 この歴史を見て思い返せば、やはり設立にあたり全日本基督信徒会の熱い祈りに支えられたこと、設立メンバーが共済制度の研究に尽くされた大変なご努力と熱意、設立当初の教団財務部による支払保証を含め全面的な支援をえたことに感謝。そして設立期の1955年から草創期が終わる75年までの20年間に共済制度の研究と仕組みの基盤を作られた正木理事長・豊嶋常務理事、そのあとの25年間は民間損保のめまぐるしい変化に対応し基盤を強固にされた秋山理事長、あとを引き継がれた8年間に「火災共済」から「火災・総合共済」制度に変えて成長させた岩井理事長はじめ、この55年の間に理事役員として日本基督教団会堂共済組合発展の責任を負われた方々と、実務を着実に遂行された事務職員たちの努力に感謝し、日本基督教団所属の各教会の会堂等の財物並びに学校・幼稚園・センターなどの大切な財産を災害から守るための「火災・総合共済」制度の働きの上に、今後も主の豊かな御導きを願い祈りをささげたい と思う。

2011年10月記



回顧と展望・2010年度〜2015年度

 先ず2010年度の業務状況を振り返りたい。

 2010年度の会堂共済組合は永年の夢でもあった加入率60%を超えてきた。 信徒の友の広告を見て、またホームページを見ての電話での問い合わせも増えて、新規に加入される教会が少しずつ増えてきた。

 2010年度の収入は再保険制度の確立に伴い、引受け限度額を撤廃したので、分担金収入が6,482万円で前年比205万円増加した。運用も順調で運用収入は前年比650万円増の1,268万円と好調に推移し、前年度7,600万円だった合計収入額は8,385万円と8,000万円を超えるようになった。

 支出は災害共済金・災害見舞金合わせて1,162万円で、前期比では4,955万円の減少となった。事業費(人件費・事務費・会議費等)と通常の教団繰出金120万を加えて1,421万円に、今年度から新たに再保険料487万円を支出したので、支出の総額は3,070万円となったが、前期比では4,333万円減少し好決算となった。

 従って、2010年度の剰余金は5,315万円と前期比では5,100万円増加となり次年度以降に備えることができ、期末の総資産残高は13億2,736万円となった。 2009年から2010年度までの役員は 理事長 刀禰堯介 
理事 久山康平 片桐郁夫 松下充孝 中尾久 長倉勉 辻井秀雄
監事 石橋光朗 計良祐時
職員は2010年1月に七海佳代子を採用し、2010年度は吉岡敬太郎 明神恵子 七海佳代子の3名である。高柳めぐみは2010年3月で退職したが、その後1年に亘り55年誌の作成をした。

 2011年度は先に述べたように3.11の東日本大震災が起こった年である。新規契約が36件と増え、再保険との絡みで大型物件の加入が増え6,837万円と前期比355万円増えた。しかしこの年は円が大幅に上がり1ドル80円を切った年でもあり、円高株安の影響を受け、運用成績が悪く827万円と前期比441万円減少し、この年度の収入は8,069万円と前期比では315万円の減少となった。

 支出は共済金支払いが4,265万円と大きく、この内の2,215万円が1件の大規模な火災事故の支払いである。また東日本大震災での被災教会に見舞金として45件9,448万円を給付し、合計1億3,713万円の支払いを行った。従って当期の損失は7,821万円とこれまでにない大幅な損失となった。

 会堂共済組合の加入率が2009年の59.2%、2010年の60.6%、2011年は61.5%と順調に増加してきたことは職員の日常の努力の賜物といえる。 2011年度は理事・監事の任期更新の年であるが、全員留任となった。

 2012年度は加入教会も17件増え、加入率は62.5%となった。収入は1億円を超え1億351万円となった。内訳は共済分担金収入が7,308万円と順調に増え、利子収入は242万円と大きく減少した。運用収入は2,771万円と好調に推移したことが前期比で2,282万円と大きく増加した要因である。支出の方は9,539万円の大幅増となった。主な原因は1件の大規模な火災事故で4,842万円支払いがあり、共済金支払合計では6,226万円、それに東日本大震災の見舞金が8件・約1,233万円を給付したことによるものである。剰余金は812万円となり2011度の大幅な赤字決算からはひとまず資産を少し増やすことができた。

 2013年度は理事の交代があり、刀禰理事長の元で4年間務められた理事の内、久山康平理事・長倉勉理事・松下充孝理事・中尾久理事の4名が退任され、新たに教師の中村公一理事・阿部雄次理事及び、奥村盾夫理事・高橋信夫理事が就任された。加入教会は順調に増え加入率は64.1%となった。

 収入面では収入合計1億2,036万円で、内訳として共済分担金収入は7,699万円と前年度より391万増え、利子収入は180万円で61万円減少している。運用収入は有価証券売却益が2,856万円と大幅に増え、分配金収入は1,270万円と当初予算よりは少なかったが合計では4,126万円と好調な結果となった。一方支出面では災害共済金が3,185万円と少なく、地震による異常危険見舞金は240万円と減り、損害率は大幅に改善された。再保険料734万円、教団繰出金120万円、事務費726万・会議費80万等含め5,864万円を支出したが、当年度の剰余金は6,171万円と、資産形成に大きく貢献できたことは喜ぶべきことである。 5月には業務量の増加に伴い職員1名を募集し8月に宮沢ゆみ子が採用され、職員は4名体制となった。

 2014年度の決算状況を2015年7月13日の総代会で報告したが、収入面では分担金収入が8,102万円と念願の8,000万円を超えることができた。この分担金収入が1億円になれば基盤が一段と拡充され、今後数年内には念願の地震共済制度を発足させ、運営が心配なくできると思われる。

 資産運用の中では利子収入が91万円と前年の半分になったが、運用収益は3,383万円と前期比では743万円ほど減少したものの、2013年度に続き好決算となった。 加入教会数も14件増え1,093件となり加入率は64.9%と目標の70%に一歩一歩近づいてきていることは喜ばしいことである。

 支出面では合計5,855万円と前期比9万円少なくなった。これは災害共済金が1,987万円と大幅に減り、地震による異常危険見舞金が829万円と前期よりも589万円増え、再保険料と事務経費で2,941万円と513万円増えたが、収支差額が5,762万円と前年度に引き続き大きく伸びた。当年度末の正味財産額は13億5,903万円となり、震災前の2010年度末の13億2,700万円を超えてきたことは嬉しいことである。これは、再保険システムの構築により大型教会や神学校の加入が増えることによる分担金(保険料)収入の増加、損害率が安定してきたこと、2010年度から2014年度までの5年間の運用収益が1億2,375万円と好成績を挙げることができたことが大きく寄与していると思える。

 設立60年目に入った2015年度の10月末までを振り返れば、先ず理事の交代があり、教団教師の阿部雄次理事が退任され、願念望理事が就任された。今年度の役員は、理事長刀禰堯介、理事は片桐郁夫・辻井秀雄・中村公一・奥山盾夫・高橋信夫・願念望と監事は計良祐時・石橋光朗の9名である。職員は、明神恵子・七海佳代子・宮沢ゆみ子と吉岡敬太郎の4名で業務運営処理を行っている。

 財務運用面では、アメリカの12月利上げ予想によるドル高がアメリカの株式の低調を招き、一方原油の暴落による資源株続落による世界経済の中で、新興国といわれる国々の経済状態は著しく悪くなり、中国の人民元の下落基調により中国の資金流失が起こり、マネーの大潮流が始まっている。これらが先進国のジャンク債の暴落を引き起こし、ハイイールド債の下落なども起こる悪循環に陥っている。またイスラム国台頭による国際情勢の悪化などが響き、6月以降は財務運用難の年となっている。

 加入率増加により共済分担金収入と共済金等支払の損害率が安定してきている。これからの数年間に大地震が起こらず、加えて年に平均2,000万円以上の運用益があれば、懸案の地震共済を2020年頃には作りたいと思っている。これにより、各教会が地震災害に備えることができるようなることを願いつつ、今回の回顧と展望の報告とし、日本基督教団会堂共済組合の運営に、これまでと変わらざる主の豊かな御導きを願い祈りたいと思う。

2015年11月30日記

回顧と展望・2016年度〜2020年度

 2016年度は分担金が前期比276万円増の8,994万円となった。証券会社の再編で次期に損失の発生が確実な投資信託の運用損失を533万円計上したが、有価証券売却益が488万円あり収入合計は9,609万円となった。支出は災害共済金・見舞金合わせて1,845万円であったが前期比では1,943万円減少し、支出合計は5,431万円、収支差額は4,178万円と好決算となった。
 2016年の役員は理事長刀禰堯介・理事辻井秀雄(9月より常務理事)・片桐郁夫・中村公一・奥山盾夫・橋信夫・願念望と監事は計良祐時・石橋光朗の9名、職員は吉岡敬太郎(8月末で退職)・明神恵子・七海佳代子・宮沢ゆみ子で業務運営処理を行っている。

 2017年度は分担金が前期比26万円増の9,021万円、運用収益(運用収入+証券売却益)は前期比855万円増の1,255万円、収入合計は前期比934万円増の1億542万円となった。支出は災害共済金・見舞金合わせて2,740万円、前期比では895万円増加したが、支出合計では6,883万円、収支差額は3,659万円の好決算となった。
 2017年は理事の交代があり、奥山盾夫理事、願念望理事、計良祐時監事が退任し、後任として大原彰理事、古屋治雄理事、丸山和則監事が就任した。

 2018年度は保険料(2017年迄の分担金)が前期比354万円増の9,376万円、運用収益(運用収入+証券売却益)は前期比1,106万円減の151万円、収入合計は前期比834万円減の9,709万円となった。支出は保険金(2017年度迄の災害共済金)・見舞金併せて130件1億1,911万円(台風被害だけで100件9,295万円)の支払いがあり、収支差額は5,959万円の損失となった。
 2018年は理事の交代があり、片桐郁夫理事、石橋光朗監事が退任し、後任として渡辺教理事、百瀬一成監事が就任した

 2019年度は保険料が前期比343万円増の9,719万円、運用収益(運用収入+証券売却益)は前期比2,781万円増の29,319万円、収入合計は前期比3,105万円増の1億2,814万円となった。支出は保険金・見舞金合わせて108件7,741万円(台風被害だけで79件6,969万円)で、収支差額は800万円の黒字となった。
 6月より橋信夫理事が常勤理事となった。

 なお台風発生ベースでの支払保険金は2018年117件1億1,375万円、2019年75件6,675万円となります。

 2020年度は保険料が前期比804万円増収の1億523万円となり、会堂共済組合が長い間目標としていた年間保険料1億円を超えることが出来た。
 運用収入は1,685万円であったが、デンマーク地方金融公庫と国際復興開発銀行の2件のトルコリラ建て債券の償還が4月と10月にあり、この8年間で約2,000万円の分配利息を計上していたものの大幅なトルコリラ安により、3,324万円の売却損を計上せざるを得なかったため、運用収益(運用収入+証券売却益)は前期比2,988万円減の▲56万円、収入合計は前期比2,197万円減の1億617万円となった。支出は保険金・見舞金合わせて前期比では4,955万円減の2,787万円となり、支出合計6,953万円、収支差額は3,664万円となった。
 新型コロナ感染症の問題で教団の人事に従い理事・監事の人事は見送られた。

2023年3月31日記